「春はぼたもち、秋はおはぎ」と季節によって名前を変えるという事ですが、実は江戸時代には春秋だけじゃなく夏と冬用の名前もありました。夏は「夜舟」、冬は「北窓」と呼ばれていたのです。なぜそんな名前か?というと、江戸時代の人の洒落好きが関係しています。このおはぎというのは、普通の餅のようにペッタンペッタンつかないで、餅米を荒く潰してつくるお餅なので、隣の家でいつ作ったのか解らない=いつついたのか解らないという意味があるのです。
語源的には「春に咲く花の牡丹に似ていることから牡丹餅→ぼたもち」。秋は牡丹が咲いていないので、代打として秋に咲く萩の名前を付けたとなっています。でもよく考えてみると、牡丹→ぼたもちは、大きく丸い花の形から連想されたってのは理解できるけれど、萩の花はかなり小さく細かく群生しているので、どう考えても牡丹の代わりに秋の花が選ばれたとは考えにくいのです。
どうやら江戸時代の初期、明確におはぎとぼたもちは違う物だったらしい。ぼたもちは現在見られるような、もち米を丸め、アンコで周りを包んだ物。それに対しておはぎは、もち米を丸め、その上からアンコを適当に振りかけるような状態で散らした物。だったそうです。(赤福のアンコ少ないVer.て感じ)つまり、米の上にパラパラと散らされているアンコを萩の花に見立てた物が「おはぎ」だったとの事。それが時代を経て「材料同じだからいいじゃん」という事になったみたいなのです。
「彼岸」という言葉はもともと、サンスクリット語で「向こう岸」を意味する「パラミタ」の直訳なのですが、お経の中でも「波羅蜜太(は~ら~み~た~)」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。
お彼岸の頃に咲く花で、「彼岸花」がありますね。別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれます。曼珠沙華はサンスクリット語で「美しく赤い花」という言葉から来たものだそうです。
江戸時代は、春はぼたもち、秋はおはぎ、夏は夜舟、冬は北窓と言っていた!!