伊賀忍者のリーダーとして有名な服部半蔵ですが、1596年11月4日、今から411年前の昨日のことですが、54歳で亡くなっています。
この服部半蔵は徳川家康に仕えていたのですが、家康の長男信康が政治的理由で切腹しなければいけなくなった際に介錯人として選ばれた時、「恩義のある主君に刃は向けられない」と刀を振り下ろす事が出来ず涙を流し、代わりの人にやってもらったという逸話を残しています。
皇居にある半蔵門の名前は服部半蔵に由来していますが、この“服部半蔵”とは、この逸話を作った服部半蔵の息子で、「二代目服部半蔵」です。
では何代目まで服部半蔵がいるかということなんですが、確認できる物は三代まで続いています。 でもこの三代目はボンボン育ちで世間知らずのダメ人間だったそうです。権力を傘に人使いが荒く部下に嫌われていて、その結果、部下200人とその家族1000人がストライキを起こす大騒ぎに発展しています。
その時、半蔵はストライキの首謀者10人を死罪にすると通達したのですが、その内の2人が逃亡してしまい、その内の1人を探しだし斬殺したのですが、実は全くの別人だったという事が判明!三代目服部半蔵は幕府からリストラされてしまったそうです。
その後、闘いで功績を挙げるチャンスもあったのですが、闘いの最中に危ないと感じた三代目は戦死を装って敵前逃亡をしてしまい、その事も幕府に知られチャンスを棒に振ってしまいました。その後、75歳で亡くなるまで、無名の農民として生きたとされています。