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今ではすっかり年末というと「ベートーベンの第九」という感じですが、そう思うのは日本人だけです。 これは昭和初期に新交響楽団が年末の押し迫った時に演奏会を開いたのが最初となっています。
なぜ暮れも押し迫った時期に演奏会を開いたかというと、貧しかった音楽家たちに「なんとか餅代だけでも稼がせて、正月を迎えさせてあげた」という理由でした。それが成功を収めて現在に引き継がれているのです。 このアイディアを考え出したのは、この新交響楽団の指揮者・黒柳守綱さん、黒柳徹子さんのお父さんです。
さらに、戦時中、音楽学校の生徒達が出兵するための繰り上げ卒業式が行われた時も「第九」が演奏された事があり、戦後生き残った生徒たちが昭和22年の12月30日に日比谷公会堂で戦死した仲間達のために「第九」演奏会を行いました。これが翌年も行われ、徐々に恒例演奏会となっていったのです。
新聞の見出しとして「恒例の第九」という文字が登場するのは昭和27年の事になります。
ベートーベン作曲のこの曲は日本では一般的に「第九」とナンバーで呼ばれていますが、本当のタイトルは『シラーの頌歌「歓喜に寄す」による終結合唱を持つ大オーケストラ、4声の独唱と4声の合唱のために作曲され、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世陛下に最も深い尊敬の念を持って献呈された交響曲、作品125』というムチャクチャ長い物。
今日のまとめ・・・
年末に第九を歌う習慣は、黒柳徹子さんのお父さんが考え出した、楽団員たちに正月の餅代を稼がすための苦肉の策からはじまった!! |