3月17日 少年週間漫画 手塚治虫と石森章太郎
1959(昭和34)年3月17日、今から49年前の今日、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』(講談社)『少年サンデー』(小学館)が創刊されました。
ちょうど時代は映画「三丁目の夕日」で描かれた時代で、テレビが一般家庭に入り始めた頃、それまでの月刊誌ではなく毎週読めるという事が子供たちの心を捉えたのです。
もっとも創刊当時は読み物が中心で、週刊誌のペースで漫画を書ける人がいなかったので、漫画は少ししか掲載されていませんでした。
で、当時すでに人気者だった手塚治虫さんの連載をどちらの雑誌が始めるか?で取り合いがあり、最終的に「サンデー」が勝ち取りました。少年サンデーの創刊当時から手塚治虫さんが連載していたのは、『スリル博士』という作品です。
さて、手塚さんの連載を取りそこなった「マガジン」は、手塚さんに匹敵する漫画家として「石森章太郎」さんに依頼したのですが、石森さんは「月刊誌の連載をいくつか抱えているので、週刊誌のペースで漫画を書く自信がない」と断って来たのです。そこで、手塚治虫さんは「では石森くんの漫画の下書きを担当するから、石森くんはペン入れするだけでいいよ」と提案してきたのです。つまり週刊誌が始まった時から手塚さんは2本週刊連載をスタートさせたという事になるのです。その石森さんの連載は『怪傑ハリマオ』で連載13回目まで下書き手塚治虫、ペン入れ石森章太郎という豪華な作品になったのです。
そんな石森さんですが、実はそれ以前に手塚治虫さんの下書きで漫画を書いた事があります。それは高校時代で、当時「漫画が上手な高校生」という事で編集者の人が手塚さんの仕事場に連れて行ったのです。その時、手塚さんは『鉄腕アトム』連載中だったので「じゃ、ちょっと 手伝ってもらおうかな」と下書き原稿を渡して「背景を書いてくれ」と頼んだ所、石森少年は主人公のアトムを始めとして登場人物すべて書いて原稿を完成してしまったそうです。
その作品は『鉄腕アトム/電光人間の巻』、最初の数ページが石森章太郎さんの絵です。
★手塚治虫作「鉄腕アトム/電光人間の巻」は、最初の数ページを、当時高校生だった石森章太郎が書いている!!