1970年、今から38年前の5月のことですが、著作権法改正公布/著作権保護は死後50年・写真は35年というもの。
よく言われるCマーク・copywriteの概念を日本へ紹介し「版権」という言葉を作ったのは、いったい誰だと思いますか?お札に描かれてる人です。
答えは・・・福沢諭吉
昔、書籍の発行日付などがある「奥付」には作者が1冊づつハンコを押した検印紙が貼られていました。これは勝手に印刷されるのを防止するために福沢諭吉が自著『西洋旅案内』に押印したのが始まりです。
音楽の著作権はというと、1847年パリで、当時の流行作曲家のビクトール・パリゾとエルネスト・ブルジュが酒場で飲んでいる時に、酒場で自分たちが作曲した曲が延々と使われていることから「俺たちの曲で店が潤っているんだから酒代をタダにしろ」と揉めて裁判になった事から。結果として作曲家の二人が勝訴となり、1851年にフランス著作権協会(SACEM)という音楽の著作権を守る団体が誕生するキッカケとなっている。それまでの作曲家は宮廷音楽家としてパトロンがいたり、演奏会で演奏したり指揮をしたりして食べていて、貧乏な人が多かった。
しかし、1851年以降に作曲をした人はそれによって守られることになり裕福になった。そのために、ロッシーニは若い内にヒット曲を出しすぐ引退をしたが晩年まで裕福に暮らし、超肥満体となった。
日本よりも海外の方が著作権にうるさく、音楽などのクレジットに複数の名前が連なっている事があるが、あれはレコーディングの時に「こここうした方がいいんじゃない?」と少しメロディなどに意見をした人まで名前を連ねるため。そのパターンで素粒子「トップクォーク」の発見を報告した論文に関係した人間は402名もいたため、、掲載誌「Nature」のまるまる1ページが名前の羅列で埋め尽くされた。という事もある。