天正10年6月2日、本能寺の変が起こっています。これにより織田信長死す:享年49
この6月2日というのは旧暦で、現在の暦だと6月21日のことでした。つまり梅雨時に起こった事件だったんですね。この3日前からドシャ振りが続いていて、その晴れ間を狙って明智光秀が本能寺に奇襲をかけたとされています。
この「本能寺の変」を、NHKの『その時、歴史が動いた』という番組で取り上げたことがあるんですが、番組上では、このシーン、雨が上がったという演出で夜空に満月が映し出されていたのですが、その直後からNHKには抗議電話が殺到しました。実はこの事件が起こった6月2日というのは陰暦で、陰暦というのは月の満ち欠けによって日付が考えられていたため、1日はもっとも月が欠けた闇夜で、2日の空に満月が登場するとは絶対あり得ないという事から、抗議電話殺到となってしまったのです。
ちなみに「本能寺の変」から生まれた言葉に『三日天下』という物がありますが、これは織田信長を倒した事により戦国時代の頂点にたった明智光秀がすぐに倒されてしまった事から出来た言葉ですが、実際には3日ではなく11日ほど逃げ回っていました。
その明智光秀を倒すために豊臣秀吉が待ちかまえた場所が「天王山」なので、最終決戦をする事を今でも「天王山」と呼ぶようになったり、他にも「敵は本能寺にあり」という言葉が今でも言われるように、歴史の大きな転換期となった事件だったのです。
★本能寺の変から生まれた言葉「三日天下」は、本当は「11日天下」だった!