1931年07月08日:メニコン創業者の田中恭一さんが愛知県に誕生しています。この田中恭一さんは日本で初めての角膜コンタクトレンズを考案した方で、その会社名『メニコン』も「目に、コンタクトレンズ」から付けられています。戦後すぐの頃、愛知県の眼鏡屋さん「玉水屋」に勤務していた田中さんは、アメリカ軍の将校夫人と出会ったことでコンタクトレンズの存在を知り、研究を始めます。
そして1951年に現在の角膜コンタクトレンズを日本で初めて完成させています。その為に、現在、玉水屋には『日本で最初のコンタクトレンズ誕生の地』という記念プレートが掲げられています。ですが、実はその1年ほど前に、また別の人の手によって日本初のコンタクトレンズが同じく愛知県で誕生しているんです。
先生は患者だった高校生が0.02程の視力のために勉強が困難だと言うことから、アメリカなどで研究が進んでた目に直接レンズを装着するコンタクトレンズの開発を開始したのです。そして先ほど話に出た田中さんより1年ほど早い1950年に完成させ、右目0.9、左目0.4程にまで見えるようなレンズを考案したのです。ところが、このレンズのサイズが直径24mm、10円玉とほぼ同じ大きさの物で目に装着するのも一苦労だったのです。それから1年後に、現在のサイズのコンタクト、つまり「黒目と同じサイズ」コンタクトレンズが、先ほど登場した眼鏡屋さんの田中さんの手によって完成しているのです。名古屋大の水谷先生はその後も研究を続け、現在の日本コンタクトレンズ(略称ニチコン)を創業しています。つまり、日本にコンタクトレンズというものを誕生させたのも、また今のサイズのコンタクトレンズが作られたのも、日本初は共に愛知県生まれなのです。
★愛知県は、コンタクトレンズ発祥の地だった!