1834年10月09日:新選組局長・近藤勇が現在の東京都調布市(武州上石原村)に農家の三男として誕生しました。
近藤勇のキャラクターといえば、最近では香取慎吾さんですか?いろんな物語で様々なキャラクターに描かれていますが、近藤勇のエピソードで知られているのが、結婚候補が何人もいる中からお見合いで妻つねを選んだ時「あまり器量よしで無いので、心におごりが無く態度も控えめだった」と美しい女性はその美しさを鼻にかけているので好きではないと答えた、というエピソードがあります。
が、つねを故郷に残して新選組として京都に単身赴任した時、近藤勇はナンバー1芸奴の深雪太夫を借金をしてまで身請けして、その美しさを周囲の人間に自慢していたという話もあります。とにかく出世したいという見栄っ張りな所もあって、故郷へ送った手紙の中には「池田屋事件で討ち取った人数7名、召し捕った人数23名」などと書いてあるが、実際には討ち取った人数は4人、召し捕った人数はたった2人などとかなり大袈裟な手柄話として書いています。
観光地に落書きをしてきたという事件が時々報道されますが、近藤勇も落書きを残しています。
江戸から京都にやってきた時に思わずお上りさん気分で『会津藩新選組隊長 近藤勇』と名前を書いただけでなく『勤勉 努力 活動 発展』などと、寝泊まりをしていた家の雨戸に書き殴っています。近藤勇というと「質実剛健」という印象もあるのですが見栄っ張りな部分もあり、新選組の隊員がバラバラの服を着ているのを見て制服を考案しました。ドラマなどで有名な袖口に白いギザギザのある水色の陣羽織ですが、これは「歌舞伎の忠臣蔵」の衣装を参考にしたデザインです。
しかも「どうせ作るなら」と当時一番人気があった高島屋でオーダーメイドしています。その仕立て代は今の金額で1着30万円ほど。当然現金で支払う事が出来なかったので借金をしているのですが、完成した制服は「派手すぎる」と不評でほとんど着られる事がなかったそうです。しかも、その時の借金は踏み倒しています。
最終的には近藤勇は処刑されてしまうのですが、晒し首になった物が誰かの手によって持ち去られて行方不明になっていました。
現在は愛知県岡崎市の法蔵寺に首塚がある事が判明しています。
実は昭和34年に伊勢湾台風がこの地を襲った時、寺の土砂が崩れ、それまで土に埋まっていた無縁仏と思われていた墓に近藤勇などの文字が刻まれている事が判明したからなのです。