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2006年7月31日~8月3日 久保寺雄二選手


 

7月31日(月)から8月3日(木)まで、32年ぶりの夏の甲子園出場を決めた静岡商について、連日お伝えしましたが、僕には、静岡商というと忘れられない選手がいます。

 

32年前の甲子園メンバーでもある久保寺雄二さんです。準々決勝まで進んだこの大会で久保寺選手は1年生ながら、ショートを守って六番を打ち、3試合で9打数2安打2打点。翌年の選抜にも出場した久保寺選手の打順は一つ上がって五番。一回戦の佐世保工戦では、三塁打2本、二塁打1本を含む5打数5安打33打点と大暴れするなど、この大会もベスト8進出に貢献しました。2度の甲子園出場で打率4割を超える、22打数9安打。試合の数と同じ、打点6は、申し分ない成績と言っていいでしょう。

 

後に近鉄のリードオフマンとして活躍する大石大二郎さん(現:サーパス=オリックスバファローズ二軍 監督)は、静岡商で久保寺選手と同期ですが、32年前、昭和49年の夏には、ベンチ入りも果たせませんでした。翌年の選抜ではサードを守るトップバッターとしてレギュラーを掴んでいましたが、静岡商では、久保寺さんが一足早く才能を開花させていたわけです。亜細亜大学に進んだ大二郎さんに対し、久保寺さんは高校生でドラフト2位指名され、南海ホークスに入団。プロの世界に入ったのも、久保寺さんが先でした。生き急いでいたわけではないんでしょうけれど…

 

南海ホークスファンだった僕にとって久保寺さんの26歳での突然の死というのはショックな出来事でした。野球選手としては細身でしたが、「体力がある人」の代表格とも言える、現役プロ野球選手が、体調を崩して急に亡くなってしまう…。「運動神経がいい」とか「体力がある」ということと、「健康である」ということは、「近いようで確実に別のことなのだ」と感じた記憶があります。

 

当時僕は京都に住む高校2年生でした。クラスメイトの多くは阪神ファンで、南海ファンの友達を見つけることが出来ず、阪急ファンのM原、近鉄ファンのH岡と、いわば「在阪パリーグファン連合」を形成して、ひいき球団の試合を見に行くのに、つきあったり、つきあってもらったりしていました。1人で観戦するのは寂しいですから。そうして、僕がこれまで生きて来た中で、最も数多く生でプロ野球を見たのが、この年なのです。そのシーズンがオフとなった正月に久保寺さんは亡くなりました。

 

昭和61年、ホークスは、緑のへルメットに「YK7」と描いたシールを貼ってプレーしました。「YK7」はユウジ・クボデラのイニシャルと、久保寺選手の背番号を示すものでした。

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