今年は、終戦から60年という節目の年にあたります。終戦当時20歳だった若者が、今年80歳ということになります。戦争を知る人たちが年々、少なくなる中、「語り継ぐ」をテーマにお送りしていきます。今回は、シベリア抑留です。
シベリア抑留とは、終戦のわずか一週間前に、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州に進入しました。終戦の混乱の中、満州や南樺太などから多くの日本人がシベリアへと連行され、マイナス40度という極寒の地で、過酷な労働を強いられたのです。
旧日本陸軍の軍曹だった公二さんは、満州からハバロフスクに連行され、34歳で亡くなりました。
大城謙二さんによりますと、当時は父、公二さんの遺骨がなかったため、遺骨を入れる箱の中には、木が入っていたそうです。
抑留された日本人は およそ60万人。このうち、1割近くの5万3千人が、飢えや病気で死亡したと見られますが、遺骨はシベリアの地に埋められたままになっていました。
そして、終戦から半世紀近く経った1991年、ゴルバチョフ大統領がソ連にあった戦没者名簿と埋葬地の地図を日本政府に渡しました。
これを機に、国はようやく遺骨収集に動き出しました。そしてDNA鑑定はおととしから始まったばかりで、大城さんはこのDNA鑑定で、身元がわかったのです。
厚生労働省援護企画課外事室の飯島 賢二 室長補佐によりますと、DNA鑑定を始めてから、現時点で身元が判明したのは67件だそうです。
今までに収集された遺骨は、わずか1万6千人分。60年経った今、埋葬地の情報は少なく、収集は困難を極めます。また、収集した遺骨もDNA鑑定出来るものは半分以下で、身元の判明は極めて難しい状態です。
大城さんは、遺骨が戻ってくるのは難しいと思っていた、と話していました。
富士市に住む望月寅雄さん79歳。望月さんはシベリア抑留中、死亡した日本人を何人も埋葬しました。友を何とか日本につれて帰りたいと、墓参りや遺骨の調査のため、これまで13回シベリアを訪れました。シベリアから遺骨が戻ってきたというニュースを聞き、大城さんのもとに駆けつけました
およそ4万人のシベリア抑留犠牲者が、いまだロシアの地に眠っています。それを知る抑留者、帰りを待つ家族も高齢化を迎えています。