終戦の混乱期を旧満州で迎え、肉親と生き別れたり、取り残された『中国残留孤児』。彼らの多くは、日本への帰国を果たしたものの、今もさまざまな問題を抱えています。その中国残留孤児を支援しようと、静岡の大学生が立ち上がりました。戦争を知らない若者が、戦争の傷跡を背負う人々と向き合い、初めて知った現実とはなんだったのかを取材しました。
1981年に肉親を探し、初来日した中国残留孤児。祖国の土を踏んだその姿は、私たちに衝撃を与え、孤児問題への関心は急激に高まりました。
あれから24年。今までにおよそ2500人が帰国を果たす中、この問題は日本の社会から忘れ去られつつありました。しかし…
国による戦後補償が受けられない現実。高齢、貧困、言葉の壁などの問題。戦後60年、夢見た祖国でも残留孤児は苦しみの中にいたのです。
5月のある日曜日、静岡市で餃子作りを教える中国残留孤児の姿がありました。餃子の会を企画したのは、静岡大学と県立大学の学生です。去年、残留孤児を支援しようと動き出した彼らは、今回初めて自分たちの手でこの交流会を開きました。
静岡県内の帰国者は推計74人。普段なら触れ合うことのない残留孤児に、若者たちが向き合うようになったきっかけは、大学で配られたチラシでした。
学生たちにボランティアを始めたきっかけを訊ねたところ、残留孤児のことは知らなかったので、もっと知りたいという答えが返ってきました。
餃子の会の後、残留孤児が重い口を開き、その思いを語りました。
60年前、敗戦の混乱極まる中国東北部。母親や兄弟と逃げ惑い、飢えや病気に遭い、置き去りにされた残留孤児の数は1万人近いと言われています。奇跡的に生き残り、日本にたどり着いた残留孤児。しかし今、彼らの多くは生活保護に頼り、日本語が十分に話せない中、孤独な日々を過ごしています。祖国での暮らしは夢にみていたものとは違っていました。
残留孤児を支援する 日中友好雄鷹会の鳥生 克哉さんによりますと、自分の生きた証や経験を、とにかく伝えたいのが中国残留孤児の方の気持ちなのでは、と語っていました。
翌日、学生たちは話し合いの場を持ちました。その中で、「餃子の会で、孤児の方々を身近に感じるようになって、その方たちが経験した、戦争の話が現実だと思えるようになった。」「年金のことなど、将来不安を抱えて生きるのが不平等」「私たちに何ができるか」などの意見が出て、今後どうしていくかという明確な答えが見つからないままでした。
戦後60年。日本の社会では忘れ去られつつあった中国残留孤児。目を伏せておけば触れ合うことのない戦争の傷跡に、学生たちは今、戸惑いながらも向き合いはじめました。