今回は「朝鮮人強制連行」です。戦争の激化と共に、若者が次々と出征していく中、国内の労働力は不足しました。そこで当時、植民地だった朝鮮半島から強制的に大勢の人が動員されました。県内にもあった、そんな歴史を振り返ります。
静岡市清水区在住の在日1世裵 周吉(ペ・ジュギル)さん。戦時中、仕事を求めて一家6人で清水にやって来ました。清水区三保にある日本軽金属の工場。この敷地内には、当時“飯場”と呼ばれる小屋が立ち、朝鮮人労働者が寝起きしていました。
裵さんは、朝鮮半島が日本の植民地だったため、朝鮮人がバカにされたり差別されたりで、その度に腹が立っていたが、みんな我慢してた、と当時を振り返っていました。
戦時中の清水港には、朝鮮との定期航路が周航。港の周辺には軍需工場が建設され、数千人の朝鮮人労働者が徴用されました。
裵さんによりますと、労働者の中には、強制連行された人もいて、街中を歩いている人間を引っ張って来て、きつい仕事、汚い仕事、危険な仕事のほとんどを朝鮮人がやっていた、ということです。
戦時中の強制連行については、はっきりとした実態が分かっていません。しかし県内全体では、1万5千人近い朝鮮人が来ていたと言われています。
最近になって、ようやく公開された強制連行者の名簿。これは県が国に提出する目的で作った報告書です。過酷な労働のためか、逃亡者が後を絶たなかった様子が伺えます。
歴史研究家の小池 善之 さんは、最初は「募集」という形で、企業が朝鮮半島に行って、人を集めていたが、それでは埒が明かないということで、朝鮮総督府が人を集めてくる「官あっせん」という方式になり、それでも足りないっていうことで、「国民徴用令」という法律を出し、断ると罰則があるという形になった、と朝鮮人の強制連行について説明していただきました。
そんな戦時中の強制連行者の足跡を、中川根町に訪ねました。60年以上前の戦時中に朝鮮人労働者が建設した巨大なコンクリート製の水路橋です。数キロ先の発電所に水を運ぶ役割をしていて、現在も活躍しています。
この先にある久野脇発電所を含む、工事全体には、強制連行者1700人余りを含め、2000人ほどの朝鮮人を動員。中には、家族連れもいました。
そして、運命の日。8月15日を迎えました。この日を境に、朝鮮人は日本の植民地支配から解放されたのです。