今回は、戦時中に書かれた、ある本についてお伝えします。
沼津市に「戦中絵日記」と題された8冊の本が伝わっています。手のひらほどのこの小さな本には、沼津の戦渦と市民の暮らしぶりが絵と文章で細かく描かれています。
「事務所は寄宿舎となり、旅館は寮となり、走る自動車はトラックばかり。道路はいたるところ、防空壕が掘られてある」
「11月7日、初めて敵機が沼津の上空に姿を現した。銀色に光る機体に白い煙のような長い長い尾を引いて。これがB29であったのだ。」
沼津市明治史料館学芸員の木口 亮 さんによりますと、これらの本は佐々木古櫻という画家が残した、戦時中の沼津の様子を伝える資料で、写真資料や文字資料などからではわからない、庶民の生活や心情を克明に記録している点で、貴重な資料だそうです。
佐々木古櫻は1892年、京都に生まれました。幼い頃から絵を描くことが好きで、武者絵を得意とする日本画家となりました。そして、27歳のころ、知り合いの画家の紹介で訪れた沼津が気に入り、移り住みました。
古櫻には3人の娘がいました。長女、英子(ひでこ)さんは現在、伊豆の国市で暮らしています。英子さんによりますと、古櫻の人柄は、こうと言ったら絶対聞かないが、人付き合いは良かったそうです。
古櫻がこの絵日記を書き始めたのは沼津でも戦時色が濃くなった1944年でした。
「沼津の市中でもあまりけばけばしい着付けをした女性に出会わなくなった」
「今店屋には何一つ売っておらない。まず闇取引でもなかなか買ってこれないものだ」
英子さんは当時、軍需工場で働いていて、自らも戦争を体験しました。そんな中、今も強く記憶に残っている場面があります。沼津大空襲です。英子さんは、空から焼夷弾が雨霰のように降ってきたが、呆然となってしまって、物陰に逃げようという気持ちにはなれず、あの時を思い出すと、涙が出ると当時の心情を語っていました。
静岡、浜松と同様、沼津でも戦局の悪化に伴い、1944年頃から市街地が空襲を受けました。中でも1945年7月17日未明、米軍による大規模な焼夷弾空襲に見舞われました。米軍機130機が9000発余りの焼夷弾を投下。死者274人、市街地の9割が焼失しました。
沼津市中心部の寺では、今も境内から、そのとき落とされた焼夷弾が見つかるそうです。
古櫻はこのときの様子を絵日記にこう記しています。
「片浜・静浦方面も早や火の海にて、敵機は頭上より投弾し、約2間の所に直撃弾を受け倒れる女あり。爆弾・焼夷弾は霧散のごとく落下し、この世の地獄というべきか」
英子さんは、古櫻が自分の日記として書いたかもしれないが、書いている以上は伝えたかったのでは、と語っていました。